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東京高等裁判所 昭和30年(う)6号 判決

控訴人 被告人 掛本務

弁護人 向山義雅

検察官 玉沢光三郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金弐万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収にかかる注射器二本、注射針九本、鉄鉱泉入り瓶一本、投薬用瓶三本、細胞元入り瓶一本及びエルゲン注射液入りアンプル十二本(浦和地方裁判所昭和二九年押第四二号の一及び三乃至七)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人向山義雅提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用しこれに対し次のように判断する。

控訴趣意第一点及び第二点について

原判決挙示の証拠を総合すれば判示事実は全部その証明があつたものと認められ、本件記録を調査し並びに当審における事実の取調の結果に徴するも原判決には所論のような事実誤認又は審理不尽の違法があるとは認められない。また原判決が右認定事実に対し判示法条を適用処断したことは相当であつて、所論のように罪とならない事実を有罪とした違法があるとも認められない。

即ち原判決挙示の証拠によれば被告人は医師の免許を受けていないのに、判示のように多数回に亘り判示自宅等において神山政平外多数の患者の疾病の治療を目的としてその病状を診断しエルゲン若は細胞元と称する卵黄より精製した一種の薬品を注射し、或は前記エルゲン若は細胞元又は鉄鉱泉と称する第五改正日本薬局方に規定された薬品である硫酸第二鉄等を含有する一種の鉱泉を服用させたことが明らかであつて、右のように疾病治療の目的で反覆して薬品又はこれを含有する鉱泉等を注射しまたは服用させたときは医師法第十七条にいわゆる医業をなした場合に該当するものと云うべきである。尤も被告人が所論のように医業類似行為を業とすることを許されている者であることは本件記録上明らかであるが、右医業類似行為はこれを所轄都道府県知事に届け出た上、届出に係る当該医業類似行為に限りこれを業とすることを許されるものであることはあん摩師はり師きゆう師及び柔道整復師法附則第十九条の規定により明らかである。然るに当審における被告人の供述に徴するも原判示の如き行為は右所定の届出にかかる医業類似行為の範囲内には属しないものと認められるのみならず、右法条によれば医業類似行為を業としうる者に対しても同法第四条の規定が準用され、これらの業者は外科手術を行い又は薬品を投与し若はその指示をすることは許されないこととなつているのである。蓋しこれらの行為は医学上の智識技能を要するものであるから、医師の免許を受けた者でなければ業としてこれをなすことを許さないものとした法意であつて、仮令医業類似行為を業としうる者と雖も、右規定に反しこれらの行為を業として行つたときは医師法第十七条にいわゆる医業をなした者として処罰を免れないと解すべきである。しかるに被告人が注射し又は内服させたいわゆるエルゲン又は細胞元と称するものは三、四%のレチチンと九六、五%の脂肪を含有し一種の薬品と認められるものであり、またいわゆる鉄鉱泉は硫酸第二鉄の含有量が微量のため局方品として市販には合格しないが第五改正日本薬局方に規定された薬品である硫酸第二鉄その他の成分を含有することは原審鑑定人高橋秀雄作成の鑑定書二通及び公判廷の供述により明らかであるから、被告人がこれらの薬品等を患者に注射し又は服用させたことは右にいわゆる薬品を投与しまたはこれを指示した場合に当り、被告人の所為が医師法第十七条の規定に触れることは叙上の説明によつて自ら明らかであると云うべきである。故に論旨はすべて理由がない。しかし職権により原判決の量刑の当否につき調査すると、本件記録を調査し、並びに当審における事実の取調の結果に徴し、被告人の性行、経歴、従来の業務経験、本件違反行為の態様、その人体に及ぼす危険の有無その程度等諸般の情状を総合して考えると原審が被告人の本件所為について懲役刑を選択処断したことは、その執行を猶予する旨の言渡をした点を考慮してもなおいささか重きに過ぎるものと認められるので、この点において原判決を破棄すべきものと認める。よつて刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書により原判決を破棄し、当裁判所において更に判決をすることとする。

当裁判所の認定した事実並びにこれを認めた証拠は原判決の判示するところと同一であるからここにこれを引用する。

法律に照らすと、被告人の所為は医師法第十七条第三十一条第一項第一号罰金等臨時措置法第二条第一項に該当するので、前記諸般の情状に鑑み、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金二万円に処し、刑法第十八条により右罰金を完納することができないときは金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、主文第四項記載の押収品は本件犯行の用に供しようとしたものであるから同法第十九条第一項第二号によりこれを被告人より没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人にこれを負担させることとする。

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判長判事 谷中董 判事 坂間孝司 判事 荒川省三)

控訴趣意

第一、原判決は事実の誤認乃至審理不尽の違法がある。

一、原判決は、被告人は医師の免許を受けていないのに別紙記載の通り昭和二十七年四月頃から同二十八年五月中旬頃までの間埼玉県川口市栄町三丁目一一六番地当時被告人の自宅等において患者神山政平外四十七名の疾病を治療するための病状を診断しエルゲン若しくは細胞元と称する薬液(黄卵油)を注射し又は右薬液若しくは鉄鉱泉と称する薬液を内服薬として投薬し以て医業をなしたものであると判示している。

二、ところが被告人が医師の免許を受けていないことは明かだが、被告人は医業類似行為を業とする者であることは本件記録を通覧すれば明かである、殊に、(イ)原審第一回公判において(記録第三丁以下御参照)被告人は医業類似行為を業とするものであること。診察は医師のするような診断ではなく電気を掛け(物療)で見て電流の通らないところを病源とするに過ぎないのだ。私の所に来る患者は医師の診断を受けた後に来るのだから私は患者の訴える患部の治療をするに過ぎない旨を述べている。(ロ)更に第九回公判において(記録第二六一丁以下御参照)被告人は医業類似行為を始めたのは昭和八年頃からである。処罰されたことはない、昭和十一年頃警察(川口)で調べられたが当時は注射はしなかつた、検事局で調べられずにすんだ。鉄鉱泉は呑ませるが薬ではないので許された。医師のことは研究しないが、民間療法(物療)については研究している。電気を使うについても諏訪という人の書いた電気医学を研究した。蒸風呂は鉄鉱泉を蒸気にして蒸すのです、その時は首丈け出して他は密閉して風呂の中に入る、旨を述べている。等によつて被告人が法に認めてある医業類似行為を業とするに該当する。

三、尚あん摩師、はり師、きゆう師及柔道整復師法(昭和二十二年十二月二十日、法律第二一七号)第十九条には、この法律公布の際引続き三ケ月以上第一条に掲げる者を除く外医業類似行為を業としていたものであつて、この法律施行の日から三ケ月以内に省令の定める事項につき都道府県知事に届出た者は第十二条の規定にかかわらず、なお昭和三十年十二月三十一日までは当該医業類似行為を業とすることができる旨規定している、之等の点から判断して、被告人の行為が医師法に牴触するか否かを判断するには、被告人が前記法律第十九条いかなる医業類似行為を業とする者であるか否かを明かにし次でいかなる点が医師法に違反するか否かを判断すべきに拘らず、原審は被告人が昭和八年以来前記の如く鉄鉱泉を用い、蒸風呂、又は電気を通ずる等物療によつて患者の疾患を治療して来た事実を全部抹殺して前記のように被告人の所為を判示して有罪の判決をしたのは明かに事実の誤認か審理を尽さない違法なものであつて到底破棄を免がれないものと信ずる。

第二、原判決は罪とならないものを罪と認定した違法がある。

一、原判決は前示第一の一のように判示してある。

二、ところが、あん摩師、はり師、きゆう師、柔道整復師にあれ疾病患者の治療を業とすることを認められた者は当該患者の症状をいかなる方法かによつて診断した上で治療すること-せねばならないこと-は社会通念に照して疑のないところであり判例の認めるところである-聴診器の使用(お灸をすゑるに)を認めた-医業類似行為を業とすることが許されている被告人の患者の症状を診断したとて犯罪を構成する理由がない。

次に被告人が患者に服用させたエルゲンは(記録第二七九丁以下御参照)鳥取県米子市勝田町一二〇北村製薬所の製造販売するもので厚生省の許可を受けたもので国立鳥取病院を初め一般に市販使用され相当効果のある薬品であります。

又被告人が患者に服用させ且蒸風呂に用いた鉄鉱泉は富山県氷見市八代磯辺滝高平右衛門所有の坑道中に湧出する「氷見鉱泉」であつて薬液ではないが数年来東大医学部物療科で研究された結果諸病に服用して効果のあるものである(日本温泉気候学会雑誌第十八巻第一号昭和二十九年四月二十五日発行御参照、-証拠品として一応添付-同誌三十一頁-九十五頁御参照)被告人はこの鉄鉱泉を約二十年使用して来たのであります。

三、ところが原判決はこれを漫然薬液と断定し、被告人が患者に服用させたのが違反なりと早断したもので原判決は罪とならない所為を罪と認定した違法がある。

四、尚被告人は前記エルゲンは服用させるより注射がより効果的だと医師から聞いて患者に注射したのであります。従来我が国におきましては注射は危険を伴うもので医師のみに許された行為と一般に認識されていたことは明かであります。ところが終戦後我が国民の知識が高上し殊に医学衛生についてはアメリカの影響を受けて一般に衛生思想が高上普及し注射等は何等危険を伴うものでないことが知られ今日では看護婦、保健婦から町の薬局でも需めに応じて注射することは公知の事実となり更に素人が以上のような人の手を借りないで自分自身に注射をすることも珍らしくない実状になつたのであります。まして被告人のように二十年余も医業類似行為を業としているものが患者に皮下注射をしても毫末も危険を伴うものでないと信ずるものであります。

刑罰法規はもとより厳格に解さなければならないが社会の日進月歩の思潮を無視してはならないことは贅するまでもない、私は医師の免許はないが永年疾病の治療に専従して来た被告人のような者に対しては注射もその医業類似行為の範疇に入るものであると解することが妥当であつてこれを否定した原判決は破棄されるべきものであると信ずる。

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